節分の豆まきは鬼のお面を付けたお父さんが子どもに豆を投げられて家の中を逃げ回る、といった楽しい行事ですね。
「節分って何?」とお子さんに聞かれ、困ってしまうこともあるかもしれません。
なぜ、節分に豆を食べるのか、また、豆まきの掛け声はどこでも同じなのか、考えると知らない事ばかりです。
子どもに質問される前に、ちょっと調べてみましょう。
【もくじ】
節分の意味を子供向けに簡単に説明したい!
まず初めに、「節分」って一体いつだと思われますか?
多くの方は2月3日と答えるかもしれませんね。
でも、2月3日が節分なのは1985年~2024年頃迄の間だけなのです。
例えば、おばあちゃん世代に尋ねると、2月4日という答えが返ってくるでしょう。
その世代が子供の頃には2月4日が節分になっていました。
なんと時代によって「ずれ」があるのです。
その「ずれ幅」は、2月2日~2月4日迄にもなるそうです。
では、なぜ、この様な「ずれ」が生じるのでしょうか。
節分という日は今では立春の前日を指していますが、本来は春夏秋冬、各季節の始まりの日「立春・立夏・立秋・立冬」の前日のことで、年に4回ありました。
太陰暦の時代に、太陽の運行を元に、一年を24に分ける「二十四節季」というものを加味して、太陰暦と実際の四季との間のずれを調整していました。
この「二十四節季」は太陽の角度で決められ、「太陽角度315度=立春」なのです。
毎年同じ日が立春にならない理由は、地球の自転の歳差運動(傾いた状態で回る首振り運動の様なもの)で、春分点が移動してしまうからなのです。
立春の前日の節分だけに、とりわけ「節分」としての行事を行うようになったのか、一説には古くは、立春は元旦であり、節分が大晦日に当たっていたからというのです。
節分の「豆まき」は、邪気を追い払うためのわざであるとして、新年を迎える前日、大晦日に悪い物を追い払うということだそうです。
これは古くに、宇多天皇の時代、京都、鞍馬山の鬼が都に出没して、都中を荒らしまわり人々を苦しめていたことがあったとか。
この鬼を退治するのに、ご祈祷をして鬼の住む穴を封鎖してしまい、炒り豆(炒り大豆)を鬼めがけて打ちつけ、鬼の目をつぶしたという説話から「豆まき」が始まったと言われています。
なお、節分には「豆まき」の他に、同じく邪気を寄せ付けないよう「ひいらぎ」の枝に鰯の頭を刺したものを玄関に立てる風習もあります。
また、西日本では「節分イワシ」という風習もあり、節分にイワシを焼いて食べます。
これはイワシを焼く煙を鬼がいやがるからだそうです。
以上をふまえて、子供に簡単に説明してみましょう♪
日本には春、夏、秋、冬という「季節」があるでしょ?
その季節の最初の日を、昔は「立春」、「立夏」、「立秋」、「立冬」と呼んでいたの。
そして、その日の1日前を「節分」って呼んでいて、昔は節分が4日あったのよ。
このうち「立春」は春が始まる、若葉や花が咲く、新しいスタートの日、つまり新年が始まる大事な日、って昔の人は考えたのよ。
新年の1日前は、今でも「大晦日」って言うのと同じように、立春の前の日、つまり節分は「大晦日」ということになるの。
大晦日には次の新しい年に悪い事が起きませんように!って、お願いをする「おまじない」、それが「豆まき」の始まりなのよ。
豆まきの豆には「パワー」があるから、それを投げれば鬼を退治できるって信じていたのね。
「鬼」なんて本当にいたのか、どう思う?
昔の人は、例えば、インフルエンザのように多くの人にうつる病気で、人がたくさん亡くなってしまうとか、大きな地震が起きて家がいっぱい壊れたりすると、怖くて、防ぐにはどうしていいかわからなかったんでしょうね。
人間を困らせる、こういう悪い事を起こす犯人は、「鬼」に違いない!って考えたのよ。
そこで、節分の(大晦の)夕方、暗くなったら、見えない鬼に向かって、豆を「鬼は~外!、福は~内!」って元気よくまいて、家の中から鬼を追い出すの。
追い出した鬼が戻ってこないように、ドアや窓をしめたら、自分の年の数+1粒の豆を良くかんで、食べましょうね。
これで、新しい年はうちの中に、もう、鬼はいなくなるから、安心できるね。
節分に豆を食べる意味は?
豆まきは一家の主人、または「年男」(その年の干支生まれの人)が豆をまくものとされていますが、家庭によっては家族全員でまくという家も多いようです。
家の中心から、玄関に向かって豆をまき、その後、家族それぞれが、自分の年の数だけ真剣に数えながら豆を拾って食べる光景はほほえましいものですね。
現代では、見えない鬼に豆を投げ邪気を追い払い、一年の無病息災を願うということで、まかれた豆を自分の年の数だけ食べるようになりました。
そのいただく数が、満年齢ではなく、1粒多い、数え年の数だという人もいます。
「1粒多い=次の年」が健康で幸せに過ごせますように、という願いが込められているためだと言われています。
なるほど、細かいこと迄にも願いが込められているのですね。
まく豆は、炒り大豆を使うのですが、こちらにも意味があって、火を用いて炒り豆にしたことで、邪気を払ったとされ、『福豆』となるそうです。
この福豆を年の数(又は1粒多く)だけ食べ、来年も健康で幸せに過ごせますように願うわけですね。
節分に食べる物はこの他に「恵方巻き」や、「節分そば」があります。
恵方巻きは7種類の具が入った太巻きを、その年の恵方を向いて食べるというもので、関西から全国へ広まりました。
「節分そば」は、立春前日の節分を大晦日とみなして、厄払いのため、そばを食べるというものです。
節分の豆まきの掛け声 正式には?
立春を1年の始まりの日、節分は大晦日ということで、平安時代の宮中では、大晦日に陰陽師らによって旧年の厄や災難を祓い清める「追儺(ついな)」の行事が行われていました。
「追儺(ついな)」の行事では、悪霊退散の呪術的な言葉が唱えられていたのかもしれません。
落語の「お払い」をネタにした噺で「厄落しの祝詞」が出てくるのですが、その文句は厄除けの呪文、「追儺祭文(ついなさいもん)」からの文句と言われています。
1年を5日で暮らす「厄払い」(職業)の噺で、古くは「節分」だけの営業が、その後、年に5回、夜に廻って厄落としの代行を引き受けていたそうです。
厄年の人間は、厄落しを個人々でやっていたものを、面倒だからと代行業に頼む人も出てきたそうです。
江戸の町では、この「厄落し」が「おん厄払いましょう厄落し」(京阪と江戸では文句は異なった)と、唄うように町々を流し、それが前口上になっていたとか。
ご祝儀は、江戸では12文、明治では1~2銭のおひねり。
節分には、それに主人の年の数に1つ加えた煎り豆を、他の二十四節季には餅を添えてやるならわしが明治20年代頃迄はあったそうです。
現代の掛け声は「鬼は外、福は内」ですね。
面白いことに、「鬼」という文字を含んでいる名字(鬼塚さんなど)の家とか、「鬼」が付く地名の地域では、「鬼は内」とになるそうです。
また、地方によっても言い方に違いがあるんですよ。
- 「福は内、福は内、鬼は外、鬼は外、天に花咲き地に実なれ、鬼の目ン玉ぶっつぶれろー」
~♪山形県最上郡真室川町曹洞宗廣蔵山長泉寺
- 「福は内、福は内、鬼は外、鬼は外、天打ち地打ち四方打ち、鬼の目ン玉ぶっつぶせー」
~♪山形県山形市
- 「鬼は外、福は内、 御恵比寿 大黒 豆上がれ」
~♪福島県大沼郡
- 「福は内、鬼は外、恵比寿大黒、豆上がれ、日本の神々皆上がれ」
~♪福島県大沼郡三島町(家によって異なるバージョンあり)
- 「鬼は外、福は内、おいべすだいこくまめあがれ」
~♪福島県大沼郡
- 「福は内、鬼は内、悪魔外」
~♪「鬼恋節分祭」群馬県藤岡市鬼石(地名に鬼が付いている。)
- 「福は内、福は内、鬼は外、鬼は外、福の神でぶっとめろ!」
~♪茨城県西地区(八千代町のある地域:「福でもってぶっとめろ」、旧三和町のある地域:「福でもってぶっとばせ」)
- 「あっちはあっち、こっちはこっち、鬼ヶ窪の年越しだ」
~♪つくば市鬼ケ窪(地名に鬼が付いている。)
- 「福は内、鬼も内、鬼の目玉ぶっ飛ばせ!!」
~♪千葉県長南町報恩寺
- 「福は内」のみ
~♪東京都台東区浅草観音の前には鬼はいないとされるため。
- 「鬼は外!福は内! 恵比寿、大黒、目ぇ~開け!!」
~♪長野県
- 「福は内、福は内」
~♪名古屋市中区大須観音(伊勢神宮から譲られた大須観音の寺宝が鬼のお面で「鬼は外」は禁句。)
- 「福は山、福は山」
~♪奈良県桜井市大神神社(三輪山をご神体とするから)
- 「福は内、鬼も内」
~♪奈良県吉野郡吉野町金峯山寺蔵王堂など(他から追い払われた鬼を迎え入れて、改心させるため。)
- 「鬼は内!福は外!」
~♪京都府福知山市三和町大原神社(かつて綾部藩の領地で藩主の九鬼氏への配慮から。)
- 「福は内、鬼も内」
~♪京都引接寺(千本ゑんま堂)強運節分会
- 「福は内」
~♪岡山県倉敷市由加神社本宮(征夷大将軍坂上田村麻呂が、人々を苦しめている悪鬼を成敗し、今ではもう鬼はいないので「鬼は外」は言わない。)
■いろいろな掛け声を集めてみたのでご紹介しましょう。
まとめ
節分という伝統行事を調べていくと、各地の神社・寺の故事にちなむ掛け声があることが判りました。
また、限られた地域でのおもしろい掛け声が、口伝えで今まで途絶えることなく伝えられてきたことにも驚かされました。
「豆まき」は節分の行事の中でも最も広く行われているものです。
これからも豆まきで「悪霊」を払い、平和な社会が続くことを願うばかりですね。